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たまに書きたいこと書く

2019/09/20

こんばんは。なんか書きたいなと思ったので近況を書きたいと思います。自分語りが一番書きやすいし。

暗い話であれなんですけど

父が亡くなりました。と言ってももう4ヶ月ほど前のことになりまして、四十九日も過ぎて普通に日常を過ごしています。

普通に……普通……普通か?うーん……朝起きて仕事に行って、なんとか終わって帰宅して可処分時間を過ごして、といった意味では普通の生活をしていると思います。けど、変わってしまったことも確実にあって。なんだかいつもの椅子なのに妙に座り心地が悪い感じというか、ちょっとした違和感を抱えたまま過ごしているのは多分あるんだと思います。朝と夜に位牌を前に手を合わせるのも最近は「普通」になっちゃいましたし。

長男なので喪主したり色々と先導してやったり、まぁいずれやることをちょっと早めにしてしまったのかなという感じがあります。いや本当大変だったよこれ。人間ひとりが死ぬ時、色んな手続きが遺族に残ってしまうというのを身を持って体感しました。自分は立つ鳥跡を濁さずで死にたいなぁとは思うけど、オタクなのでそういうものも含めて沢山残ってしまいそうだ。あとお金すごいかかる。まぁこれは実際遺族として直面して思ったのだけど、最後の餞として必要な儀式をすべきなのだなと…。自分自身の時の為に、ちゃんとお金は貯めておこうね…。(終活)

オタク

私はまぁずっとオタクだし、そういうものからはもう離れられないと思っていたので、もし「そういう時」が来たらオタクコンテンツに触れることが自分の救いや癒しになるのかなぁ…って昔考えていたこともあったのですが。実際には救われたというよりは後ろめたさでいっぱいになってしまいました。

色んな一段落がついた後、自分から何かをするのが出来そうになくて、何もせず呆けてしまうような時間が多くて。なのでアニメを何本か見ていたのですが、なんか中身があまり入ってこなくて、それでもぼーっと見てしまっていて。

目と耳を画面に向けているだけで摂取出来るコンテンツ、めちゃめちゃ楽だなぁ…って思ってました。なんだか流動食みたい。

でもふと自分の状態を俯瞰した時、そういう消費の仕方に対して誠意の無さを感じてしまったんですよね。だから後ろめたさがあって。いやまぁこういう状態だから許してほしいというのも思ったんですけど、まぁ…めんどくさいオタクなのでそういうとこも考えてしまうのかもしれない。

とまぁ後ろめたさはあったのですが、救われていたといえばそうなのだろうと思います。誠意が無かったとしても、自分の空白の時間は確かに埋められていたはずですから。何もしないで呆けているよりはよかったんじゃないかな。

 

で、なんでそんな後ろめたさがあったかって考えたんですけど、もう作品にちゃんと向き合うということを知ってしまっていたからだろうという所に突き当たりました。

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かわいい

私は成宮由愛ちゃんにプロデューサーというロールプレイを通して向き合うことで、「作品とちゃんと向き合う」ことをしてきた…と思う…思いたい…わけですが、この「プロデューサー」ってやつが今は能動的すぎてきついです。創作やダイマで活動が出来なくても愛でていればPなんやで~、みたいな論説、まぁ気持ちとしては同意だけど、その「愛でる」という行為も今は出来ない。しんどい。

なのでまぁ「見るだけ」って行為が楽なんですよね。今もデレマス…というかアイマス全般はちょっと触れるのにパワーが要る感じがあって遠ざかり気味です。

とはいえ、由愛ちゃんのPをやめるとかそういうことではないです。私は成宮由愛ちゃんがアイドルマスターシンデレラガールズで一番かわいいと思っているし、心の底から大好きだし愛しているし、アイドルとして高みに登ってほしいって出会ってから今までずっとずっとずーーーーーっと願っています。それは変わらないです。ていうか人類、早く由愛ちゃんが一番かわいいことに気付いてくれ頼む。

出来ない、しんどい、って言ってるだけじゃ駄目なのはわかっているので最近はスマホの待受で由愛ちゃんを見たりしてリハビリ(?)しています。人の感情には浮き沈みがあるものだし、そのうちまた由愛ちゃん由愛ちゃんはしゃいでると思います。たぶんね。

生きなくては

父が死んでから葬式と四十九日が終わって、それまでずっと泣いていなかったんです。母と弟が泣いてしまっていたので自分はちゃんとしないと、毅然としていないといけないって思っていたし、喪主としてバタバタしているうちに泣くタイミングを失ってしまったのもあるのかな。

でも最近は反動が来てしまったのか、ふとしたこと…テレビのドキュメンタリーとか、ドラマとか、曲とか…そういうものが胸に突き刺さって感情を揺さぶられて、どうしようもなく泣いてしまうようになってしまったりして…。

 

私の大好きなバンドであるACIDMANに「MEMORIES」という曲があります。

通り過ぎてゆくだけの

小さな生命なのに 

胸が痛いんだよ

 

失うことに慣れても

生きてゆくんだよ

生きてゆくんだよ

ACIDMANは楽曲を通して"宇宙と生命"について表現し続けているバンドです。

この広大な宇宙で私達が住む地球という惑星があって、その中に生きる私達はほんの小さな生命。今この瞬間にも光を失う生命が幾千とあり、宇宙からしたらそれは通り過ぎてゆくだけのものでしょう。ひとつひとつは小さな生命だけど、でもそれはきっと誰かの大切な存在で…。

 

私にとって大切だった小さな生命を失っても、失うことに慣れても、生きてゆかなければならない。

これからどう生きるかなんてまだわからないし決めていないし、クソみたいなオタクだけど、生きないといけない。父が最期まで生きようとしたように、私にも最期の時が来るまでは必死に生きないといけない。

心境としてはそんな感じです。生きなくては。生きるぞ。